北と日記

北海道在住の大学院生のブログ

奈良公園お散歩紀行

 年末年始に数日だけ奈良に滞在していた。


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 地元の人間にとって奈良公園は影が薄いように思う。国際的によく知られた観光地とはいえども、県民であった自分には魅力的に映らない。そもそも、生活圏内とはやや離れた場所にある。公園が位置するのは広大な盆地の端っこであって、町のど真ん中ではない。奈良県在住の高校生の大勢はその一歩手前の新大宮駅で降りてしまうし、働く社会人は県外に出稼ぎに出てしまう。家に残された専業主婦は、わざわざ赤子を連れて奈良公園を散歩しようとしない。そういうわけで、あそこはほぼ観光客しかいない。


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 昔、奈良公園でデートをした記憶がある。若いカップルはどこのデートスポットでも楽しめそうだけど、地元の人間は果たしてどうだろう。

 地元民の往来が増えるのは年末年始の時期だ。奈良公園には東大寺がある。また、奥に進むと春日大社の気品漂う社殿が鎮座する。奈良駅を降りた参拝客は、時に中谷堂で餅をつまみ食いしながら一直線に社を目指す。公園に至る道は複数あるが、目指す方角は皆同じだ。たちまち道路は参拝客やら観光客やらでごった返し、肩や肘がぶつかり合う。人ごみを器用に鹿がすり抜けていく。鹿が道の真中で脱糞しようものなら、そこは通行止めになる。迂回しないといけない。鹿の尻から出てきたばかりのうんちはまだテラテラと柔らかそうで、靴でも踏んで通ろうとは思わない。


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 昼下がりに外に出た。この日の天気は曇り。年末年始は相変わらずやることがない。暇ならば、いつもこうして奈良公園に足を運んでいる。今回も友だちを誘って来た。かといって特に行きたい所もやりたいこともない。鹿の観察は楽しいが、正月にやるとただただ虚しくなる。鹿は、年末の時間を削って見に行くほど可愛い生き物ではないと思っている。

 奈良公園は駅を降りるとすぐ行ける。

 この日も観光客を狙ったりんご飴や綿あめの屋台が出店していた。甘い匂いは微かで、それ以上に獣臭さのほうが強い。今の時期はどの出店も活き活きして見える。しかし、道路を歩いていても、歌舞伎町のようにしつこく客引きされることはない。


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 焼き芋屋が繁盛していた。

 南大門への道を歩く。公園の奥の方だ。どこにでも鹿がいる。彼らは角以外管理されていない野生動物であるが、人を怖がる素振りはない。彼らはいつも人を監視している。道路の真ん中で堂々と。目の前で鞄を下ろそうものなら、食べ物を期待して鼻を押し当ててくる。彼らは慎重なので、人から乱暴に食べ物を奪おうとはしない。口元にある餌は別らしいが。


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 奈良においては、鹿は神聖な生き物とされている。神聖不可侵であるが、鹿は農作物を食べ、公園の樹木の表皮を剥がしてバリバリと食べる。特に最近は人里へのちょっかいが過ぎたのか、捕獲されたというニュースがあった。あれは初めての捕獲だったのではないか。奈良県に限った話だ。県外や北海道にいるニホンジカとは同種・亜種の関係であるが、特にブラキストン線を越えたあの土地では狩猟対象としての印象が強い。

 子どもの鹿と頻繁に出会った。鹿の年齢は確か、角で判別できる。年齢を問わず食欲に忠実な生き物のように思う。目を合わせて相手の知性を測ろうとするも、よくわからなかった。向かい合う人間の手のひらから食べ物が出てこないと、お辞儀の丁寧さも他所へ、尻を向けて去っていった。


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 鹿の去った方向にあった木組みの門の下をくぐる。荘厳な雰囲気の漂う建造物だ。古い歴史があるらしい。実は、平安時代に台風で一度倒壊し、1199年の鎌倉時代に再建されているとのことだ。その後、一度も焼失や倒壊がないまま現代に至る。南大門は、キャンプファイヤー等で見かける組木によく似ている。下から見上げると、露呈した構造材を観察できるが、実際これは組木だった。何でも、水平方向の木材を多用し、柱と強固に組み合わせるという建築技法を用いているようだ。この技法は古代中国、宋から伝わったという。


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 この門も、創建依頼幾度となく戦乱に巻き込まれてきた。門を支える柱には、矢の跡や弾痕が残されている。よく観察すればわかるが、ぼこぼこに穴が開いていた。弾痕だと言われてもよくわからない。柱は撫で上げると、意外にも感触がつるりとして柔らかい。門の中にいた阿吽の像に左右から睨まれる。

 大仏殿に入るにはお金がかかるので、参拝は控えることにした。東に道を逸れると二月堂があるので、そちらに体を向けた。


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 ちょうど陽が傾き始め、どんより曇りだった空は少しだけ晴れてくる。人の波は大仏殿までがピークで、空気が閑散としてくる。こういう雰囲気は奈良っぽく感じる。


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evening


Nigatsu-do Hall of Todai-ji Temple


 二月堂は、京都の清水寺に似ていなくもない。建築様式は同じだ。が、知名度や交通アクセスはあちらの方が上らしい。この時期の二月堂はひっそりとしていた。鹿も場所を選んで疎らにしかいない。お水取りの行事はあと2月ほど先になる。シーズンではない日に、ここまで足を運ぶ地元民は少ないだろう。カメラを持った如何にも人たちが彷徨っている。友人がふざけてダッシュをして、それをカメラで追いかけても、誰も変な目で見てこない。

 南大門と同じような木材が仏堂の屋根を支えている。材の表面は黒く汚れた色をしていて、古さや歴史を内に閉じ込めているようだ。視覚だけでなく触覚ならではの楽しみがあるが、あまり素手で触られることなく素通りされる。


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 堂内には侵入できない。自由に歩くことを許されているのは舞台や登廊だけになる。舞台はほぼ西の方角を向いていて、手すりに腕を預け、他の参拝客と供に大仏殿に落ちる影をぼんやりと眺める。あまり綺麗な夕焼けではなかったが、首からNikonを提げた人がシャッターを押していた。


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 こんな場所でもスマホに夢中になる。


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 公園を歩いている間、友人はずっとポケモンGOに集中していた。こんな場所にもポケモンは出現するようだ。最近では捕獲可能なポケモンの種類もずいぶん増えたという。奈良県限定のポケモンはいない。いるとすれば、どんな姿かたちをしているだろう。時間も魂も吸われたようにARに夢中になっている友人にカメラを向けた。特に反応も得られず、撮れた写真にはギャラドスが写り込んでいる。ギャラドスというとポケモン金銀の赤いギャラドスを思い出す。あちらはどうも、奈良というよりは京都の色が強い。友人のスマホのバッテリーが切れそうになっていた。もうそろそろ他の友人との待ち合わせ時間が近づいていたので、散策を打ち切って駅へ戻ることにした。

(了)

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