北と日記

北海道在住の大学院生のブログ

彦根城 ひこにゃんの時間

 当初の目的地であった安土城跡までは少し距離が遠く、暮れと閉園の時間が近づいていたため、予定を変更して彦根駅で降りることにした。本日は12月31日であり、歳末の夕刻、外を歩いている人など誰もおらず、町は静寂に包まれていた。駅前の飲食店はシャッターを下ろし、どこにでもあるチェーン店の看板だけが眩しく輝いていた。空は鉛色で小雨が降っている。道路は彦根城まで真っ直ぐに伸びていた。頭の中で、本日の宿はどうしようか、という言葉を反芻しながら歩いている内に、簡単に辿り着いた。


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 城跡を歩く時は、城を攻めるとしたら、ということを考えながら歩くと面白いと言う。素人目には、どこをどう攻めたら効果的に天守まで登れるのか、いまいち想像が働かなかった。先を行く家族連れは、ただ石段を登るのに精一杯なように見える。しかし、実は、至る所で、籠城戦を想定した建築の工夫が凝らされているのだ。今しがた歩いていた足元の石段にも。段は幅が広く、人が歩きにくいよう歩幅がずれるように設計されているらしい。バリアフリーはない。コツコツと靴底で石材の感触を確かめながら天守に向かった。ポケットに手を突っ込んで、冬の寒さに身をすくめる家族の背中を追いかけていく。


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 天守は現代で言うところの物見櫓だ。彦根城のそれは、三階建ての建物で、三重の屋根でつくられている。建築材の調査や史料からの総合的な推測から、天守の完成は慶長12年、410年前ごろだと考えられている。江戸幕府が開府されて間もない頃だ。彦根藩の象徴、戦国から江戸時代への過渡期における貴重な遺構だ。初めてこの城を見た感想は、意外にも質素だが、外観は整っていて立派だ、ということだった。

 彦根城天守は内部を見学することができる。土足は厳禁であり、入り口で渡されたビニール袋に靴を入れ、手に提げたまま建物の内部を見学する。摺足で木の床の上を滑る感覚は久しぶりだ。


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 彦根城の建物を上から下まで貫く急な階段。傾斜は60度以上はありそうだ。スカートを履いた女性は登りにくいように思う。下から丸見えだ。段差に足をかける。殆ど梯子のようなものである。足を滑らせないように手摺を掴んで、三点支持法を意識する。建物の内部でさえ、守りを固めた構造が見て取れる。こうした階段は、簡単な力で蹴り落とすことが出来た。階段を外せば、敵は上の階まで登ってこれない。


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 窓にはガラスが張られていたが、室内は薄暗い。当然、この城の建築当時は電力がないため、自然光や蝋燭の明かりで室内を照らしていたのだろう。建物を物珍しげに見渡す友人の顔は影になってよく見えない。カメラの設定を弄ると、EVFに梁の影になった部分が映し出された。屋根を支える木材はこうも湾曲している。勿論バランスがとれるよう計算されて積み上げられているのだろう。

 小さな窓から外の明かりが漏れ、どん底の雨模様だというのに眩しく感じた。窓枠の木材が明かりを反射して鈍く輝いている。屋根の瓦はしっとりと雨に濡れていた。窓から離れると、後から来た観光客が自分の真似をし始めた。天守内をぐるりと回る。そろそろ階段を降りだしている人が増え始め、係員が足を滑らせないよう注意を促していた。大人の心配を他所に、子どもは身軽に段を駆け下りていく。


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 「俺は湖を見たことがない」と友人が言った。しかし、琵琶湖は、城下町の向こうに見ることができた。初めて見る湖に「おお」と声を上げていた。天守が立つ彦根山は高さは130 mそこそこしかないが、単独峰のため、そこそこの展望がある。彦根城だけではなく、琵琶湖に面した土地に建てられた城は数多く存在する。有名な織田信長が築いた安土城彦根城からそう遠くない距離にある。

 遠くに見える風景は、空と海とのコントラストが小さく、水平線はぼんやりとしていた。島のようなものが浮いている。海と違って荒々しさがない。何より潮の香りがしない。海に慣れていると、淡水の湖はとても珍しく、発見があって面白い。ただ、今日のように水鳥が飛んでいないのは物寂しく思う。

 天守閣を出た後は、真っ直ぐ湖に向かうことにした。地図アプリを開こうとすると、メールが届いた。本日の宿にと目星をつけたゲストハウスからで、残念ながら、年末のため休業しているという通知だ。肩を落とし、やはり宿が決まらないことに焦りを感じた。時刻はもう五時を回っている。このまま静岡で宿が見つからなければ、京都に引き返すという選択肢もあった。行き先に迷ったまま、すぐに港に辿り着いた。車が何台か停まっている。おそらく釣り人のものだが、自分たちと入れ違いでどこかに行ってしまった。取り残されたように感じる。


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 港に猫を見つけた。ひこにゃんではない。ただのにゃんだ。猫の横にある茶色の木箱は「外来魚回収ボックス」という。釣り人が釣り上げたブルーギルブラックバス等の外来魚をその中に入れ、県の職員が回収する。回収箱が設置されていると、外来魚がリリースされるのを防ぐことができる。ははあ、猫の目的がわかった。しゃがみこんで手を叩くと尻尾を上げて近寄ってきた。こうした猫の行動を見て、「こいつは自分に愛嬌があることをわかっている」と考えるのは、overestimateである。鳴き声を上げること、尻尾を上げて近寄り、体を擦り付けることで餌を貰えることは学習していても、それが「愛嬌」を感じるが故の行動であるとまでは理解していないように思う。猫の餌ねだりはオペラント反応で、反復して強化された結果のように考える。

 猫は、自分たちが外来魚を箱の中に入れに来たのではないとわかると、拗ねるようにそっぽを向いた。ひこにゃんは恐らく自分の愛嬌を理解して地元のPRをしているので、唯のにゃんの決定的な違いはそこにあるらしい。結局、まだ本日の宿は決まっていなかった。


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(了)

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